
客とバーテンダーとのさりげない距離感が心地よい会話を生みだすように、カウンター、椅子の高さや幅を決めている。
寒い日が続きます。
暦の上でも大寒を過ぎ次の立春まで
日本の四季では今が一番寒い時。
緊急事態宣言も首都圏に引き続き各県も発令され、
街では、人とすれ違う時にお互い最大限に距離をとってすれ違ったり。
リモートワークについても、オンライン上での打ち合わせはできますが
やはり、顔を突き合わせて話すのとはちょっと違うかなあ、と思ったり。
今、あらためて人との距離感について考えさせられています。
そんな時に、学生時代から何度も繰り返し読んできた本を思い出すのです。

人類学者であるエドワード・ホールの「かくれた次元」
動物にはスペーシングと言い、
自分自身のテリトリー(領域)を持っています。
人間だけが他の動物と違い
文化という新しい次元をつくった、という発想です。
かくれた次元とは文化のことである。
例えば
人間は脳の延長でコンピューターを、
声は電話、足は車、言語は体験を作り出し、
これを新しい次元=文化として、
新たに作り出し、その作り出した領域を生きている、と彼は言います。
そして、こうも言っています。
「人間は文化を発達させるとともに、自分自身を家畜化した」と。
つまり、自ら作った文化に支配されてしまっている。
だから、人間的に生きるためには
今こそアメリカの都市は、
この感覚的距離感を理解する建築家によって作り変えねばならない、
とまでこの出版された1970年代に、すでに言いきっている。
便利だけど、いずれ動物としての感覚を忘れてしまう、ということを。
あなたにとって、何が心地よいのか?
さて、以前にも「建築の本質は間を設計すること」という記事を書きましたが
私の作る空間は、単なる広さを取り、見栄え良くするためにデザインをしていません。
見えない部分であるモノとモノの間にある「空」
これを、この動物的な感覚である距離感できちんと計算しています。
わかりやすく言うと、
使いやすさ、居心地の良さ、を十分に検討してあらゆるものを決めている、ということです。
エドワード・ホールもこの本の第5章で言っています。
空間の過ごしやすさは、視覚的な体験より筋覚的な体験が大切であると。
筋覚的とは、つまり、
目で見る広さだけではなく、
その部屋で何か行動する時にスムーズに行動できるか、
動作の一連が心地よいか、ということです。
ここで、彼の例えを文中より引用してみましょう。
ーーーーー以下引用ーーーーーー
女性は、ふだんは陽気で社交性に富む人物であったが、あるとき、近代的ではあるが設計の悪い彼女の台所のせいで、十何度目かのかんしゃくをおこし、こうどなったーー。
「私はたとえ親しい人にでも触れられたり、ぶつかられたりするのが大きらいです。だから私はこの台所にいると気がちがいそうになるんです。だって食事のしたくをしようとすると目の前に必ずだれかがいるんですからね。」
ーーーーー引用ここまでーーーー
これは極端な例なのですが、
普段意識していないからこそ
人のこの動物的感覚はとても重要なものです。
なぜ、不愉快に思うのかーーーーー。
それは、ストレスを感じるからです。
究極にいうと、命を守るためのストレスです。
建築の基本は命を守ること。それはストレスがないこと。
さて、建築の第一の使命は、「あらゆるものからいのちを守ること」です。
講演でも、いつもお話していますが、
人は、無意識のレベルでかなり敏感に環境をキャッチしています。
そして、その感覚によって多かれ少なかれ感情を動かされています。
高所恐怖症や閉所恐怖症などは顕著にあらわれた例かと思います。
ストレスのない空間にいることが、一番に大切なことなのですね^^