豊かな人生はまずは自分を生ききることから始まる

あなたの人生で豊かさとは、何でしょう?

ご自身の人生を振り返ってみてください。豊かさとは、何でしょう?
お金がたくさんあること?
子供たちとの時間?
仕事?
おそらく時間と共に変化していらっしゃるのではないかと思います。
子供の頃の豊かさと今のあなたの豊かさって違うのでは?

人生には3つのステージがありそれぞれに転換点がある

例えば、ヨガスートラの教えの中でこんな考え方があります。(スートラ:哲学)

1.第1ステージ 
学びの時期です。
心身を鍛え、学ぶ時。
ティーンエイジャー、学生の時ですね。

2.第2ステージ 
独立して家庭を築く時期。
 ダルマ=人生の役目 を果たす時期。
 仕事に付き、家庭を持ち、子育てをする時。

3.第3ステージ 
 モノとの関係を切っていくためのスピリチャルな練習をする時期。
 引退して自分の人生をまとめる時。

人生の転換点 トランディッション

生き方が全く変わる変化点であるトランジッションと呼ばれる時期があります。まるで闇に包まれたような、しーんとした静かな状態が訪れるといいます。

かくいう私もさまざまなトランディッションを経験してきました。福岡県から単身で上京して大学生になった時。学部を卒業して組織設計事務所に入社した時。結婚して子育てし始めた時。大病をして退職し、アトリエ系設計事務所を設立した時。

また、状況は変わらなくとも、数年前から、思いがけない苦しい出来事が連続して起こり、心身共にかなり疲弊しました。それまでに付き合いのあった人との別れ。しかし、順に新しいご縁にもたくさん出会えるようになりました。まるで美しい織物のようにひとつひとつ紡いでいくようでした。

今から振り返ると、総替えするように見事に変わりました。今はまるで別世界に来たようで、穏やかで静か。そして豊かです。しかし、その渦中は真っ暗でしんとした深い井戸の中にいるように苦しいものでした。

結果にとらわれない

そんな苦境の中、ヨガティーチャートレーニングにて個人指導を受けました。呼吸に意識を向けているワークで気づいたのです。

これからの私の半生の目標は、全てにおいて「結果にとらわれないで生きること」 ではないかと。

ビジネスの世界は結果が全てです。心を込めているかいないか、頑張っているかいないかは評価には全く関係ありません。

さらに、常に他人軸です。当たり前ですが、ニーズがあって初めてなんらかの付加価値となり報酬が得られるのです。だから評価するのは他人。これも当たり前ですね。

ところが、この他人軸。きちんと使いこなせていないとかなりヤバイです。他人軸に慣れてしまうと、いつのまにか自分を見失います。心で感じていることと全く違うように行動したり、発言したりを無意識でやってしまうようになってしまいます。そして、それを自分だと思い込み始めます。

自分軸は他人軸で汚染されている

私自身、思考が他人軸に汚染されているのに気がついたのは、油絵を描き始めてから。
それまでは、バリバリの仕事人間でした。猛烈に多忙にしていた時は「建築家・多田祐子」を演じていました。「この件に関して、建築家・多田祐子だったらどう考えるだろうか?どう発言して、どう行動するか?」と思考していましたから。もう、病気です(笑)

建築家だから当然、絵は描けるでしょう、と思われている方が多いのですが、実は、そうでもないのです。建築と絵画の製作のアプローチは全く違います。

建築の設計は、クライアントが必ずいます。もう、ここですでに他人軸ですね。また、予算や建築関連法規や、敷地条件、さらにクライアントの要望など膨大な条件と制約の中からモノを生み出していかなくてはなりません。最近では、予算と条件が複雑すぎて、建築家が創作できる箇所がかなり減ってきているように感じます。

反対に、絵は全て自分軸です。自分が描きたいコンセプトも自由。画材も自由。水彩なのか油絵なのかクレヨンなのか、キャンバスなのかベニヤ板に描くのか。また、大きさもスケッチブックほどの大きさかあるいは100号の大作か、はたまた壁に描くのか、など全て自分で決められます。ただし、これもパトロンに合わせて描くとなると、他人軸になってしまうのですが。

自分が良いと思うように描けば良い。私も絵を描き始めの頃、自由だ自由だ、と嬉しくて仕方なかったのです。しかし、これが、案外すぐに、壁にぶち当たりました。描いている途中で、どうしても他人軸の自分が出てきてしまう。うまく描こう、とか、他人がどう見るか、構図はあっているか、はたまた、建築家としてこのセンス、このデッサンだと恥ずかしくないか?な〜んてことまで、頭をよぎるのです。単なる絵描きなのに(笑)そんなことが浮かぶと、一瞬で筆の動きが止まってしまう。あるいはお利口なつまらない絵の方向に向かい、主題と外れていきます。なぜか。そう、どこかで結果にとらわれているからです。もう、癖になっているのですね。思考回路が。

感動の衝撃が自分軸を呼び起こす


そんな時、ふと訪れた箱根仙石原にあるポーラ美術館でゴッホの「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」に出会います。それが、私の大きな転換点でした。もう、絵の前から動けなくなるくらい頭をガーンと叩かれました。泣き叫びそうになりました。私はいったい、今まで何をしていたのだろう、何を見てきたのだろう、と。私の中の奥にある何かがガラリと音を立てて変わりました。モノの見え方がその日の前後で全く違うのです。風景が、絵画が、人々が、音も光も全く違うように感じられます。あまりの変わりように、もしかしたら、また元に戻るのではないか、とか(笑)もう半ばパニックです。そうそう、その日一度会場を出たのですが、どうしても気になってもう一度再入場してゴッホの絵に会いに行ったくらいですから。

’つらぬき通す’ゴッホ

さて、結果にとらわれないで自分軸を貫き通したのが、このフィンセント・ファン・ゴッホだと思います。パリで画商をしていた弟テオに援助を受けながら、自分の思想と作風を突き詰めた画家。ゴッホの生きた19世紀末のヨーロッパは、それまでのブルボン家、ハプスブルグ家などの勢力を振るっていた貴族文化が崩壊して、産業革命が起こります。そのために生まれた新興ブルジョアジー達がこぞって室内に絵画を飾った時代。だから、ルノワールやモネなどの柔らかく美しい絵画が売れた時です。それでも、ゴッホは自らの作風を流行に迎合せずに貫き通した生き方をしています。だからこそ、今、ゴッホの作品は想像を絶する金額で取引されているのではないかと思うのです。

それは、結果を求めて描いていない‥ということです。

豊かさは自分をつらぬく強さから生まれる

ゴッホの絵から受けた衝撃はこうでした。豊かさの本質は、結果から生まれるのではなく、個性を大切にし、それを貫く強さや勇気。プラス描き続ける根気の中にあるのではないかと。自分を他人に無理に合わせることなく、今感じたことを大事に、伝える相手が少なくても、黙々と表現し続けること。実は、そのエネルギーと時間が化学反応を起こし、豊かさとなって人の心を動かすのではないかと。

結果というものはほんのつかの間のこと、一時的なものです。結果は、今に存在するものではなく、必ず、過去にしかありません。人によっても評価はそれぞれ違います。そして、頑張って頑張って結果を出しても、次の瞬間には未来のもっと良いといわれる結果に向かって歩むのが他人軸での生き方です。これは、麻薬のように中毒作用があるのです。

どちらも努力は必要です。しかし、向かっているところが全く正反対なのはわかりますよね。そして自分軸も他人軸も必要なんです。どちらか一方でもいけない。

自然の中の花や鳥たちは、存在するだけで美しい。夏のひまわりは元気よく咲いているし、秋のコスモスは可憐に風に揺られて堂々と立っています。川にいる鳥たちもカモが「私もサギみたいに足が長くなりたい」などと思ってはいないはずです。(あれ?そんなお話ありましたかね^^;)だから、人も同じで、自分を生き切ること、その存在自体が、すでにもう美しい、のだと。

だから、堂々と自分を生きていく。

視点を変えなくては真実は見えない

これからの世の中は今までとは全く違った価値観となるでしょう。
そう、もはやハウツーで生きていくことはできなくなる。
不安定、不確定、複雑、不明確と言われる時代だからこそ
翻弄されないよう、しっかりと自分を見つめ直したい。

自分はいくら探しても見つかるはずはありません。

見つけるための目を変えなくては真実は見えないのです。(つづく)

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